下松市議会 2021-06-24 06月24日-04号
26日土曜日12時から1時間、YAB山口放送で久原房之助と鮎川義介、日本を代表する企業、日立と日産につながる会社を興した2人の夢と情熱、26日土曜日12時から1時間、YABでございます。私はこのテレビ放映を機会に、再々再度、古川薫氏の「惑星が行く」を読んでみて、新たに本市に関わりの深い2つの学ぶ視点を発見いたしました。
26日土曜日12時から1時間、YAB山口放送で久原房之助と鮎川義介、日本を代表する企業、日立と日産につながる会社を興した2人の夢と情熱、26日土曜日12時から1時間、YABでございます。私はこのテレビ放映を機会に、再々再度、古川薫氏の「惑星が行く」を読んでみて、新たに本市に関わりの深い2つの学ぶ視点を発見いたしました。
このダムは、御存じかと思いますが、あの近代産業の父と言われ、下松市の産業革命を起こした久原房之助氏、その義理の兄で、後に日立製作所となる久原工業の2代目の社長として就任した鮎川義介氏の時代に築造されたとしております。
井上馨公50年祭実行委員会の会長は、当時の兼行山口市長、副会長は江崎山口市議会議長、顧問は佐藤栄作内閣総理大臣、重宗雄三参議院議長、岸信介元総理大臣、鮎川義介中政連総裁、橋本正之山口県知事、滝口純山口県議会議長、毛利元道というそうそうたる顔ぶれで行事が行われたとの記録がございます。2015年には、井上馨公が亡くなられて100年となります。
ただ残念ながら藤田伝三郎も久原房之助も鮎川義介も皆萩から出て行ってしまいました。問題は財源ですが、萩市は財政が厳しいから手当てができないとは言わせません。財源はすでに用意されています。どういうことか、これから御説明します。 今現在萩市は、制度融資の保証料を負担しています。この時代、銀行や信用金庫を初めとした金融機関はリスクを伴う融資を極力避けたがります、そこで存在するのが信用保証協会です。
井上馨候に関連するので申しますが、日産自動車の創設者、鮎川義介の生誕地は、山口市の大内御堀氷上にありますが、井上馨は、鮎川義介の大おじに当たります。鮎川氏は、若いころから、井上馨に随分支援を受けていたようです。その恩義があって、井上馨候の財産の一部をもとに、大正15年に井上育英会が設立されるときに、鮎川義介は中心的に動かれたようです。
それがすべて久原房之助、鮎川義介この萩の人脈から成る経営人として、戦後もなお脈々と続いているわけであります。 そういったことの関係も含めて、あるいは今、萩から出ていらっしゃる方々多いわけでございます。